「・・・何もないところだな、全く」
この周り一面に畑が広がる中で、ポツンと寂しげに立っている古ぼけた建物の前まで来るのに、なつきは、かなりの時間を要した。
各駅停車しか止まらない電車に長い時間揺られて無人駅で降りた時も、周りに店らしきものが何一つないことにまず驚いたが、そこから出ているバスが一時間に一本しかないという事実を知って、さらに愕然とした。
時刻表を見ると、丁度行ってしまったばかりで、なつきは仕方なく地図を片手に、ここまで徒歩二時間かけて辿り着いたのだった。
そのうちの半分以上の時間は、目印のない風景に方向感覚を失って、全然逆の場所を彷徨っていたのだが。
顔見知りのプロレス記者から聞いた話だと、ガルデローベは、道場と一緒に選手用の寮も併設されているらしい。
つまり、ここの扉をくぐると、碧だけではなく、全員と鉢合わせする可能性があるわけだ。
それでも聞かずにはいられなくて、二、三日迷ったあげく、とうとうここまで足を運んできてしまった。
「・・・よし!」
心を決めて、固く閉ざされた扉の前に立つ。
中からは特に、人の声などは聞こえない。
ノックしようかどうか迷って、それからいきなり、ガラッとその扉を開けた。
「・・・すみません!」
前方には、リングが一つ設置されていた。
周りには筋トレ用のマシンやバーベルなどが散乱していたが、誰一人として姿は見当たらない。
もしかして今日は、どこかで試合がある日だったろうかと考えて、調べてくるのを忘れてきた自分の迂闊さを、呪った。
「・・・誰もいないのかな」
そっと、足を踏み入れる。
土足で上がっていいのかどうかを迷って、靴を脱ごうと身を屈めた瞬間、いきなり背後から声がかかった。
「・・・あら。もしかして、玖我さん?」
振り向くと、そこには陽子の姿があった。
ガルデローベの、広報。
そして、実はこの団体を取り仕切っている陰の支配者であるという、もっぱらの噂だ。
「突然、すみません。あの・・・」
「碧に用?もうすぐ来るはずよ。事務所で待つといいわ。あ、土足で結構だから」
そう言うだけ言うと、なつきには構わずに、腕に大量の書類を抱えながら、奥の部屋へと入っていく。
慌てて、その後を追いかけた。
その部屋は事務所として使われているようで、古ぼけた応接セットが一つあっただけだ。
あとは雑然とした資料がそこら中に散らばっていて、なつきはどうしてよいのかわからずに、入り口に立ちすくんだ。
「あ・・・そこに座って、玖我さん」
「・・・はい」
「コーヒー、飲める?」
「いえ・・・結構ですから」
「遠慮しないでよ。今日はまだ、お客さんなんだから」
その言葉に反応して、俯き加減だった顔を上げる。
「・・・自分が来ること、予想していたんですか?」
「碧は、ね。欲しがった理由がわからなかったら、あの子の性格上、ここへ乗り込んでくるんじゃないかって」
「・・・・・・」
全部、自分の行動が読まれているようで、なつきは面白くなかった。
確かに、その通りだ。
何故ああも碧は自分に固執するのか。
どうしても聞きたくて、納得のいく説明をして欲しくて、今日ここまで足を運んだのだ。
目の前に置かれたコーヒーは、この古い隙間風だらけの事務所の雰囲気にはそぐわない、澄んだ香りがした。
「・・・ごめん、遅れた!・・・って、あれ。玖我なつき」
聞きなれた声と共に、勢い良くドアが開いた。
駆け込んできたのは、つい先日対戦したばかりの、碧だ。
しばし睨み合うようにして、お互いの顔を見つめあった。
それから、直立して口を開く。
「突然お邪魔してすみません。今日は・・・」
「いいよ、答えを聞きたいから、わざわざここまで来たんだろう?」
「・・・はい」
「まあ、座りなよ。何でも答えるからさ」
勧められるまま、なつきは再びソファに腰掛けた。

Information
Date:2008/06/26
Trackback:0
Comment:0